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東京の“異才集積地”──全国ランキング1位の理由
2025年、全国の進学校を進学実績に基づく独自指標で分析した最新ランキングで、筑波大学附属駒場中学校・高等学校(筑駒)が全国1位に輝いた。
前年まで首位を守っていた灘高校(兵庫)を堂々と上回る形での逆転。
このランキングは、主に東大や京大をはじめとする難関国立大学、そして医学部への進学実績を軸に、各校の進学力を数値化したものだ。
筑駒のPFP値は521.75。少数精鋭の中で圧倒的な成果をあげるその姿勢は、他のどの高校とも異なる。
1学年およそ160名という規模から、90名を超える東大合格者──「現役東大率」では日本一とも言える数字が生まれている。
だが筑駒の真価は、それだけでは測れない。
知的でありながら奔放、進学校でありながら規格外──
この場所には、自由な思考と、鋭利な個性が共存する。
今回の記事では、全国最高峰の“知の聖域”である筑駒の素顔に迫っていく。
進学実績が物語る“異能”の集団
筑駒の2025年春の進学実績は、東京大学合格117名(うち現役92名)という圧巻の結果から始まる。
1学年160名ほどの小規模校で、半数以上が現役で東大に進学──この“現役東大率”こそが、筑駒の異常値を物語っている。
中でも注目すべきはその内訳。
理科一類55名、理科三類15名(うち現役14名)と、最難関理系学部への合格が並ぶ。
また、京都大学に5名、東京科学大学(旧・東工大)に6名、一橋大学に2名と旧帝大系にも着実な実績を残している。
医学部医学科には計58名(うち現役39名)が合格しており、
慶應14名、順天堂5名、慈恵5名、日本医科4名など、私立医学部最上位にも複数の合格者を輩出している。
“東大理三+慶應医”という二大巨頭に同時に大量合格者を出せる高校は、全国でも灘と筑駒だけだ。
しかも筑駒は、東京都内の居住者に限られる「学区制」を導入しているため、全国募集が可能な灘とは母集団の前提が異なる。
それでいてこの成果──この“知の密度”の高さに、全国1位の実力が凝縮されている。
進路は理系にやや傾きつつも、法学・経済・文学・数学・情報・工学・医学など分野は多岐にわたる。
単なる医進偏重ではなく、あらゆる分野で“知の尖端”を目指す姿勢が貫かれている。
さらに注目すべきは、筑駒の進学実績が“受験指導中心”の学校運営の結果ではないという点だ。
高校3年時点では約9割が塾に通う一方で、校内では深掘り型の授業が展開され、鉄緑会などとの学びが矛盾しない構造が成立している。
この“塾との共存”も、筑駒という異能集団の特殊性を際立たせている。
自由闊達──「好き」が学びに変わる空間
筑駒の校内には、いわゆる「受験モード」の空気がない。
それどころか、昼休みに近所のラーメン屋へ出かける生徒、上裸で教室を歩く生徒、田植えに取り組む生徒──常識的な学校生活の枠を軽やかに飛び越える姿が、日常の一部として存在している。
その背景には、「自由・闊達」を掲げる学校目標がある。
筑波大学附属校としての役割を果たしつつ、挑戦・創造・貢献という教育理念を軸に、「既成の枠組みに縛られない学び」を実現しているのだ。
たとえば、授業。
教科書通りの内容をなぞる授業はほぼ皆無で、数学なら難問の深掘り、物理なら実験を通じた理論追求、国語なら哲学や芸術にまで話題が広がる。
教員は“好きなことを教える”、生徒は“面白いから学ぶ”。
その循環が、校内に独特の知的空気を生み出している。
ホームルームも存在しない。時間割の都合によって毎時限、教室も教員も変わるスタイルが取られており、大学のような自律的な動きが求められる。
この“常に変化する空間”が、筑駒生の柔軟性を育てているのかもしれない。
一方で、筑駒は行事にも熱い。
文化祭・体育祭・合唱祭といった年3回の大型イベントは、生徒主体の運営で成り立っており、本気で準備し、全力で楽しむ姿が校風として定着している。
勉強だけではない、“青春”を味わえる男子校──それが、筑駒という空間だ。
多様な個性──東大だけがゴールではない
筑駒と聞けば、まず「東大合格者数」が頭に浮かぶかもしれない。
だが、東大への圧倒的な進学実績は、あくまでこの学校の“ひとつの側面”にすぎない。
たとえば、最上位層が全員東大理三を目指す──という単純な構図ではない。
純粋数学、物理学、情報科学、さらには法学や経済へと、それぞれの「好き」に応じて進路は枝分かれしていく。
筑駒の教室には、学問の方向性そのものに“分散”が前提としてある。
校内には、国際数学オリンピックや科学オリンピックで世界と競う生徒がいれば、小説や詩に没頭する文系エリートもいる。
さらには、海外のトップ大学を目指す者、スタートアップ起業を構想する者まで、進路の形は十人十色だ。
この多様性を支えるのが、卒業生とのリアルな接点だ。
高2では「職業別懇談会」が実施され、法律・メディア・医療・金融・工学など、各界で活躍する10~20歳上のOBが後輩に語りかける。
「君たちが持っている知は、社会のどこで生きるのか」。その問いかけが、生徒たちの視野を静かに広げる。
高3では、現役の大学生・大学院生OBとの進学懇談会も開かれる。
受験の体験談だけでなく、大学生活の現実、進路選択の葛藤まで──“少し先の未来”を生身で知る機会になる。
興味深いのは、筑駒の多くの生徒が塾(特に鉄緑会)中心で受験対策を進めている点だ。
ただし、「塾に通わず東大現役合格」という完全独学型も一定数存在し、そこにも評価や偏見はない。
自分のスタイルで結果を出す──それが、筑駒という空間で最も自然なあり方なのだ。
歴史と知の系譜──“教駒”から“筑駒”へ
筑駒の正式名称は「筑波大学附属駒場中学校・高等学校」。
しかしその歴史をたどると、「教駒(きょうこま)」という愛称で親しまれた時代にたどり着く。
1947年、東京農業教育専門学校附属中学校として誕生。
戦後の混乱期、当時の教職課程を支えた東京教育大学の附属校として、男子校として開設された。
「女子を受け入れる設備も環境も整っていなかった」という学校史の一文が、その時代を象徴している。
高度経済成長とともに、教駒は「東大合格の登竜門」として台頭する。
1960年代~70年代、卒業生の半数以上が東大へ進学した年もあり、1973年には東大134名合格で全国一を記録した。
「生徒のツブがそろっている。それに尽きます」──当時の教員の一言が、この学校の実力を端的に物語る。
1978年、東京教育大学の解体とともに筑波大学が創設され、教駒は筑駒へと改称された。
名称は変わっても、知の系譜は脈々と受け継がれている。
この学校が輩出した卒業生は、まさに日本の“知のエリート”と言えるだろう。
2代連続の日銀総裁(黒田東彦、植田和男)をはじめ、自衛隊統合幕僚長、警視総監、警察庁長官などの官僚トップ、さらには大学学長や文化人まで、多彩な顔ぶれが揃う。
「学問で社会に貢献する」──そんな理念を自然に体現したOBたちの存在が、今も在校生に確かな影響を与えている。
早慶・海外大──広がる進路の自由度
進学先は、東大や医学部に限られない。
早稲田92名、慶應67名、上智14名、東京理科大26名と、早慶上理にも合計199名(現役118名)が合格している。
中には、シカゴ大学・トロント大学など海外名門校に進学する生徒もおり、その志向の多様さが筑駒らしさを裏付けている。
GMARCHへの合格者もいるが、これは基本的に滑り止めであり、進学率としては低い。
筑駒の生徒は、最初から“挑戦”を前提とした進路を選び取る。
進学懇談会では、「高校生活を楽しみながら、難関大学に合格する」という、いかにも筑駒らしい成功モデルが自然に共有されている。
数字の向こう側にあるもの
筑駒生は、授業中に参考書を読んでいても怒られない。鉄緑会に通いながらも、文化祭や合唱祭には真剣に取り組む。
理三に合格しながらも、昼休みに友人とマクドナルドに走る──そこには、「学力」と「自由」の高次元な融合がある。
灘のように豊富な語り口のエピソードは少ないが、筑駒には独自の“確かさ”がある。
この空気感こそが、実績の根底を支えているのだ。
「世界を変える」ではなく、「世界に効く頭脳」を
筑駒に集まる生徒たちは、他の名門校に見られるような「エリート街道まっしぐら」という雰囲気とは少し異なる。
彼らは、確実に自分の知を耕し続ける。授業は教科書の外へ、思考は常に“Why”から始まり、“How”へ向かう。
東大117名、うち理三15名──これは単なる進学実績ではなく、「詰め込まずに届く限界」の証だ。
先取りも競争も強制しない。ホームルームすらない学校で、ここまで到達するという現実。
数学オリンピック金メダル、合唱祭での全力、校外へ昼食を買いに行く自由。
理Ⅲ志望者が教室の後ろで内職していても、教師は咎めない。それでいて秩序が保たれている。
「なぜ、ここまで自律できるのか?」
その答えは、筑駒が創立からずっと守り続けてきた問いかけにある。
──“この知を、社会のどこに届けたいか?”
進学実績は一時の頂点にすぎない。
筑駒が育てているのは、20年後に大学を動かし、経済を設計し、医療の概念を塗り替えていくような頭脳たちだ。
「世界を変える」ではなく、「世界に効く頭脳」を。
それが、筑駒という“見えにくい巨人”の、本当の姿なのかもしれない。
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